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冒頭、女性を拘束して苛むシーンが、延々と続く。 被害者はトップモデルのジェニファー(エリシャ・カスバート)で、犯人は不明のままである。 「コレクター」などでおなじみの手法だが、さいなむ方法が執拗で、いささか辟易する。 これで犯人が男だったら、何の変哲もない凡作である。
彼女の隣の部屋に、いつの間にか青年のゲリー(ダニエル・ギリス)が拘束されている。 真っ黒だった壁が、透明な防弾ガラスで、2人を隔てる壁は透明であることが、徐々に明らかになる。 2人とも拘束されていると、説明があるのだが、この説得力が弱い。 だから観客がスクリーンに引きつけられない。 この手の映画の常として、逃亡が成功するようでいて、なかなか成功しない。 脱出に失敗し、痛めつけられるゲリーに、ジェニファーは心を許し、2人で逃亡を続けようとする。 心細い彼女は、セックスで安心感を得ようとしたのだろうか、不思議なことに彼に身体を開く。 こんな状況で、セックスが行われると、もう結末は見えた。 ゲリーは拘束した女性の心理つけ込んで、味方になったように装い、 彼女の身体をもてあそぼうとしたのだった。 しかも、これは彼女が始めてではなく、なんと5人目だった。 ネタがばれたあとは、ドタバタとゲリーとジェニファーの追いかけっこになる。 最後には、もちろんジェニファーが勝って、彼女が拘束されていた家から町に出ていく。 ここまでは何とか分かる。 しかし、今さら誘拐映画でもないだろう、と思っていると、 実はいままで所々に挿入されていた拷問シーンが、本当に言いたかった話だったという説明が入る。 ジェニファーが復讐のために、男を次々に誘拐し、殺していたのだった。 女性が誘拐される事件が多いなかで、反対に復讐のために女性が男性を誘拐した。 女性台頭の時代の流れの中で、撮られるべくして撮られた映画ではあるが、 やはり無理が目立つ。 女性がオタクになるのは、ジェニファーのような美人では説得力がない。 オタクの男たちは、どこか社会との繋がりを欠き、落ちこぼれであることが多い。 それに対して、ジェニファーは売れっ子のトップモデルで、セレブ扱いである。 豊かな社会は、美人の彼女をちやほやするし、何でも彼女の希望を叶える。 彼女ような境遇にあれば、わがままにこそなれ、オタクになる必然性はまったくない。 個人的な願望と、社会的な価値の齟齬が、オタクを生むのだから美人はオタクにはならない。 だから、彼女が男を誘拐し、拷問にかけるなどと想像だにできない。 この展開は無理である。 おどろおどろしい仕掛けと、「キューブ」をおもわせるような雰囲気だが、残酷すぎるシーンが多い。 主題はといえば、女性の台頭を背景としているとはいえ、 心理の理解が基本的なところで間違っている。 どんでん返しというには、あまりにも無理があり、映画としては失敗である。 女性の台頭は、女性の犯罪が、男性化することをも招来する。 我が国の例でいえば、女の子が斧で父親を殺す事件が発生してもいるのだから、 もっと素直に、女性の殺人を正面から捉えたほうがいい。 2006年のアメリカ、ロシア映画 (2007.9.25) |
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