タクミシネマ         ゾディアック

ゾディアック    デヴッド・フィンチャー監督

 1969年から70年代にかけて、実際にあった話をもとにした映画である。
ゾディアックと名乗る男が、殺人を犯しては、新聞社に声明文を送ってくる。
未解決のまま今日に至っている事件を、監督なりに謎解き映画に仕立てている。
しかし、フィクションではなくドキュメントというのは、表現者としては降りているのではないだろうか。

imdbから

 デビッド・フィンチャー監督といえば、何といっても「セヴン」であろう。その後のサスペンス映画に、きわめて大きな影響をあたえ、アメリカ映画の1つのスタイルを創ったと言っても良い。
ゲーム」「ファイト クラブ」と、秀作を撮っているので期待して行った。
しかし、面白い映画を作るのは、本当に難しいのだ、と知らされた。

 実際の話だから、史実を無視するわけにはいかない。
細かい史実を拾い集めて、事件を構成して、事件を知らない観客に判らせ、しかも、その解決方法を描き出すのは、間口が広くなりすぎている。
フィクションなら事実を省略したり、無理な仮説を前提にしても許されるが、史実となるとそうはいかない。
しかも、アメリカでは有名な事件だとなると、拘束は多くなるだろう。

  殺人があったのだから、当然に警察が捜査にのりだす。
しかし、捜査はなかなか進まない。
先の見えない事件に、捜査規模が縮小されていく。
刑事デイブ(マーク・ラファロ)だけが捜査を続けるが、やがてそれも途絶えてしまう。
そんななか、事件を追いかける男がいた。
サン・フランシスコ・クロニカル新聞の挿絵漫画家ロバート・グレイスミス(ジェイク・ギレンホール)は、家族も顧みずに、事件解決に没頭した。

 担当だった新聞記者のポール・エイブリー(ロバート・ダウニー・ジュニア)も、とうに事件から手を引いているというのに、ロバートだけはしつこく追いかけていく。
犯人が暗号文などを使ってきたことも手伝って、彼の好奇心を刺激したのだ。
あまりにも事件に没頭するので、奥さんは実家へ帰ってしまった。
そして、離婚である。

 彼は新聞社も辞め、ただ事件だけを追いかけていく。
そして数年後、「ゾディアック」についての分厚い本を上梓した。
オタッキーな彼の性格が面白い。
刑事でもない彼が、誰に強制されたわけでもないのに、家庭も仕事も放りだして事件を追う。
事件の謎解きよりも、むしろ彼の性格描写を主題にしたほうが、面白かったかもしれない。

 映画としては、前半の状況設定に失敗している。
観客を話へと引きずり込めないまま、後半へとなだれ込んでいくが、2人の刑事や新聞記者のポールなどの話が、ばらばらになってしまった。
せっかく人物設定をしているのだから、この4人が絡んだまま終盤へといく展開が欲しかった。
あたかも別々の話を、ただ並べただけとなってしまった。

 劇場パンフレットをはじめとして、多くのところで、ゾディアックにかかわったがゆえに、人生を狂わされた男たちの物語と書かれている。
しかし、これは間違いだろう。人生を狂わされたことが主題だとは言えない。
担当だった新聞記者のポールは、ゾディアック以前から酒や麻薬をやっており、事件とは関係なく破綻は見えていた。


 相棒の刑事ウィリアム(アンソニー・エドワーズ)は、時間に不規則な刑事業を辞めるが、これは何もゾディアック事件だからというわけではない。
刑事であれば、どんな事件であろうとも、時間に関係なく仕事に追われるはずだ。
刑事のデイブだって、迷宮入り後は、他の事件を追いかけている。
刑事を首になったわけではない。

 事件は未解決だから、映画の結末もはっきりさせる必要はないだろう。
しかし、映画としての作りは別問題である。
主題が不鮮明なために、人生を狂わされた男たちの物語などといわれてしまう。
監督は主題を絞りきれないまま、映画製作に入ってしまったのだ。

 この映画は、謎にみちたゾディアック事件を、謎にみちているがゆえに、謎解きをしたかった監督なりの解答だろう。
それ以上でもそれ以下でもない。
しかし、映画で犯人を断定することは、人権侵害になるからできないはずだが、監督はすでに死んだリー(ジョン・キャロル・リンチ)が犯人だ、と匂わせている。
これは確信があってもやるべきではなかった。
リーにだって身内はいるはずで、死者の名誉を傷つけたとして、遺族の人権侵害になりかねない。

 「人を殺すのが好きだ」という劇場型の犯罪は、オタッキーな人間の多い情報社会のものだが、これを追いかける人間もオタッキーだ、というのをもっと鮮明にすべきだったろう。
ゾディアックと謎解きに没頭したロバートは、同じ性格の裏表であり、性格の質としては何の違いもない。
その意味では、この監督も同じ質の性格で、オタッキーな人間だろう。

 それにしてもアメリカ映画の背景は、スゴイものがある。
いまから約40年前の事件だから、すでに当時の物はなくなっているはずだが、自動車をはじめ街並みなど、すべてが復元されている。
もちろん細かく見れば、おかしいところもあるだろうが、なにしろ道路を走る何十台という車が、すべて40年前のもので揃っている。


 デイブ刑事の乗っていたのは、フォードのギャラクシーだったし、ちらっと通りすぎるイエローキャブだって古い車だった。
グレイスミスの乗る車は古いゴルフなどなど、路上を埋め尽くすほどの旧車たちである。
我が国の映画では、70年頃の車で路上を埋め尽くすことは、とてもできないだろう。
どうやって保存しているのだろうか。
歴史の浅いアメリカだからこそ、古い物を大切にしているのかも知れない。
 2007年のアメリカ映画 
   (2007.6.20)

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