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いつもは若い人にまじって見ているのだが、 今日の客席には同輩らしきジジババが多く、観客層が違うのには驚かされた。 珍しく映画観に登場したジジババたちは、いったい何を基準に映画を選んでいるのだろうか。 ヨーロッパ映画だから、映画観に来たのだろうか。
個人としての「王者の孤独」を認めつつも、 制度としての王室の末路を予感しているという、この映画の主題はよく判る。 しかし、なぜ今、この映画を撮ろうとしたのだろうか。 エリザベス(ヘレン・ミレン)女王個人には深い思入れをいれ、 それでいながら王政を廃止すべきだという主張は、判りにくいように思うかも知れないが、 個人的な魅力と制度とは次元の違う話だから、充分に成り立つ。 当サイトは、生前のミセス・ダイアナにはどうも馴染めなかったから、 この映画の主張には抵抗がない。 ミセス・ダイアナは悲劇のヒロインとして大人気だが、 ミセス・カミーラとの関係が嫌だったというのなら、結婚しなければ良かったのだ。 夫の浮気が許せないと言うなら、さっさと離婚すれば良かったのだ。 元ロイヤル・ファミリーの一員だったという経歴を利用しているのは不可解である。 王室批判者でありながら、王室の栄光をもっとも上手く使ったのは、ミセス・ダイアナだった。 大衆社会化してきた現代で、大衆の声に上手くのったのが、ミセス・ダイアナだったように思う。 パパラッチをはじめとする、マスコミに殺されたように言う人がいるが、 むしろ彼女こそ、マスコミを上手く使って、自分の願望を実現した。 王室の政治と私生活を一緒にして、マスコミに公開すれば、 有名人見たさの大衆も喜ぶだろうが、ミセス・ダイアナが一番嬉しかったのだろう。 政治と私生活を分けるのは、長い間に培われた王室の生きる術だった。 それを一緒にしてしてしまえば、大衆と蜜月の時には良いが、 利害が対立したときには、王室が滅ぼされてしまうだろう。 にもかかわらず、ミセス・ダイアナは政治と私生活を同位相にしてしまった。 彼女は政治の素人だった。 とまあ、こんな偏見をもっているので、どうしても老女エリザベスのほうに肩入れしてしまう。 この映画は、ミセス・ダイアナの死をめぐって、エリザベスが見せた対応を映像化したものである。 すでに私人となっていたミセス・ダイアナの死に対して、エリザベスは私人として扱おうとした。 アラブ人と恋愛中の交通事故であれば、当然のことである。 しかし、大衆的に人気のあった彼女の死を、国葬にして手厚く対処すべきだ、という声がマスコミからあがる。 バッキンガム宮殿の前には、膨大な献花が山積みとなった。 この献花の山には、どうも馴染めない。 アフリカの貧困? それをいうなら、門前に献金箱でもおいたほうが、はるかに有効だった。 あの大量の花束は、あの場で枯れるにまかせられ、ゴミとなり無駄になっていった。 大衆の良識とは、ミセス・ダイアナとは、あの花束のようなものだ。 10人の首相と付き合ってきたエリザベスは、支配の要に座ること50年以上である。 映画はその重責に耐えた女性を、あたたかく描いている。 そして、彼女の息子が跡を継いでも、おそらく王室は前途が危うい、と映画は匂わせる。 たしかに、ミセス・ダイアナと離婚したチャールズには、彼自身が大衆でありすぎ、 大衆社会を生きる力量はないように見える。 我が国にいては、彼女の日常など見ることはできないから、この画面がひどく新鮮で興味深かった。 まず、彼女の運転する車が、ランド・ローバーだったのに驚いた。 この車はパワーアシストなど付いていないだろうから、とんでもない腕力が必要なはずである。 我が国なら小柄な女性が運転する車ではない。 しかも、彼女はたった1人で運転している。 美智子さんが天皇で、しかもランド・ローバーを運転する。 そんなことを想像できるだろうか。 彼女は故障したランド・ローバーの傍らに立ち、携帯電話で迎えを頼む。 このシーンを見て、イギリス王室の強かさの秘密を、知ったような気がした。 彼女の身に付けているものは、決して派手ではないが、どれも超高価である。 400年にわたって蓄えてきた財産は、計り知れないほど膨大である。 それが無税だというのだから、いかに彼女が大金持ちだかわかる。 彼女は質素な生活をしているが、登場するたびに変わっていた彼女のスカーフは、 1枚数万円だろうし、靴はウン十万円だろう。 身につけた宝石も自分で買ったものではなく、代々受け継いだ遺産の一部のはずだ。 イギリス王室の底力を見ると同時に、あのシステムが今後も続くとは思えない、とも感じさせられた。 責任を背負うことの大変さを、ブレア首相(マイケル・シーン)とその奥さん(ヘレン・マックロリー)をならべて、描いていたのは実によく判った。 2人ともに労働党員だろうが、ブレアは首相になったとたんに責任を負う。 しかし、奥さんは首相夫人であり、首相ではないから、責任を負わなくても良い。 だから、彼女には人間的な深みがでない。 王政という制度には反対だが、重責を背負うことが人間性を大きくしていく、この映画はそう言っている。 それはエリザベスの夫フィリップの描き方にも、よく表れていた。 ヘレン・ミレンの優雅とは縁遠い歩き方が、実に堂々として気持ちが良かった。 世界で一番先に産業革命をおこなった国が、 一番最後まで王室をもっているというのも、歴史の皮肉だろうか。 キザったらしい英語の飛びかう、2時間だった。 2006年の英・仏・伊映画 (2007.4.24) |
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