タクミシネマ        クイーン

クイーン   スティーブン・フリアーズ監督

 いつもは若い人にまじって見ているのだが、
今日の客席には同輩らしきジジババが多く、観客層が違うのには驚かされた。
珍しく映画観に登場したジジババたちは、いったい何を基準に映画を選んでいるのだろうか。
ヨーロッパ映画だから、映画観に来たのだろうか。

imdbから

 個人としての「王者の孤独」を認めつつも、
制度としての王室の末路を予感しているという、この映画の主題はよく判る。
しかし、なぜ今、この映画を撮ろうとしたのだろうか。
エリザベス(ヘレン・ミレン)女王個人には深い思入れをいれ、
それでいながら王政を廃止すべきだという主張は、判りにくいように思うかも知れないが、
個人的な魅力と制度とは次元の違う話だから、充分に成り立つ。

 当サイトは、生前のミセス・ダイアナにはどうも馴染めなかったから、
この映画の主張には抵抗がない。
ミセス・ダイアナは悲劇のヒロインとして大人気だが、
ミセス・カミーラとの関係が嫌だったというのなら、結婚しなければ良かったのだ。
夫の浮気が許せないと言うなら、さっさと離婚すれば良かったのだ。


 離婚後、エイズ撲滅運動や慈善運動などをしているが、
元ロイヤル・ファミリーの一員だったという経歴を利用しているのは不可解である。
王室批判者でありながら、王室の栄光をもっとも上手く使ったのは、ミセス・ダイアナだった。
大衆社会化してきた現代で、大衆の声に上手くのったのが、ミセス・ダイアナだったように思う。

 パパラッチをはじめとする、マスコミに殺されたように言う人がいるが、
むしろ彼女こそ、マスコミを上手く使って、自分の願望を実現した。
王室の政治と私生活を一緒にして、マスコミに公開すれば、
有名人見たさの大衆も喜ぶだろうが、ミセス・ダイアナが一番嬉しかったのだろう。

 政治と私生活を分けるのは、長い間に培われた王室の生きる術だった。
それを一緒にしてしてしまえば、大衆と蜜月の時には良いが、
利害が対立したときには、王室が滅ぼされてしまうだろう。
にもかかわらず、ミセス・ダイアナは政治と私生活を同位相にしてしまった。
彼女は政治の素人だった。
とまあ、こんな偏見をもっているので、どうしても老女エリザベスのほうに肩入れしてしまう。

 この映画は、ミセス・ダイアナの死をめぐって、エリザベスが見せた対応を映像化したものである。
すでに私人となっていたミセス・ダイアナの死に対して、エリザベスは私人として扱おうとした。
アラブ人と恋愛中の交通事故であれば、当然のことである。
しかし、大衆的に人気のあった彼女の死を、国葬にして手厚く対処すべきだ、という声がマスコミからあがる。

 バッキンガム宮殿の前には、膨大な献花が山積みとなった。
この献花の山には、どうも馴染めない。
アフリカの貧困? 
それをいうなら、門前に献金箱でもおいたほうが、はるかに有効だった。
あの大量の花束は、あの場で枯れるにまかせられ、ゴミとなり無駄になっていった。
大衆の良識とは、ミセス・ダイアナとは、あの花束のようなものだ。


 10人の首相と付き合ってきたエリザベスは、支配の要に座ること50年以上である。
映画はその重責に耐えた女性を、あたたかく描いている。
そして、彼女の息子が跡を継いでも、おそらく王室は前途が危うい、と映画は匂わせる。
たしかに、ミセス・ダイアナと離婚したチャールズには、彼自身が大衆でありすぎ、
大衆社会を生きる力量はないように見える。

 ところで当然のことながら、カメラはエリザベスの日常を追っていく。
我が国にいては、彼女の日常など見ることはできないから、この画面がひどく新鮮で興味深かった。
まず、彼女の運転する車が、ランド・ローバーだったのに驚いた。

 この車はパワーアシストなど付いていないだろうから、とんでもない腕力が必要なはずである。
我が国なら小柄な女性が運転する車ではない。
しかも、彼女はたった1人で運転している。
美智子さんが天皇で、しかもランド・ローバーを運転する。
そんなことを想像できるだろうか。
彼女は故障したランド・ローバーの傍らに立ち、携帯電話で迎えを頼む。
このシーンを見て、イギリス王室の強かさの秘密を、知ったような気がした。

 彼女の身に付けているものは、決して派手ではないが、どれも超高価である。
400年にわたって蓄えてきた財産は、計り知れないほど膨大である。
それが無税だというのだから、いかに彼女が大金持ちだかわかる。
彼女は質素な生活をしているが、登場するたびに変わっていた彼女のスカーフは、
1枚数万円だろうし、靴はウン十万円だろう。
身につけた宝石も自分で買ったものではなく、代々受け継いだ遺産の一部のはずだ。

 イギリス王室の底力を見ると同時に、あのシステムが今後も続くとは思えない、とも感じさせられた。
責任を背負うことの大変さを、ブレア首相(マイケル・シーン)とその奥さん(ヘレン・マックロリー)をならべて、描いていたのは実によく判った。
2人ともに労働党員だろうが、ブレアは首相になったとたんに責任を負う。
しかし、奥さんは首相夫人であり、首相ではないから、責任を負わなくても良い。
だから、彼女には人間的な深みがでない。

 王政という制度には反対だが、重責を背負うことが人間性を大きくしていく、この映画はそう言っている。
それはエリザベスの夫フィリップの描き方にも、よく表れていた。
ヘレン・ミレンの優雅とは縁遠い歩き方が、実に堂々として気持ちが良かった。
世界で一番先に産業革命をおこなった国が、
一番最後まで王室をもっているというのも、歴史の皮肉だろうか。
キザったらしい英語の飛びかう、2時間だった。
  2006年の英・仏・伊映画   (2007.4.24)

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