タクミシネマ        ホリデイ

 ホリデイ     ナンシー・メイヤーズ監督

 この映画に登場する女性たちは、豊かな生活をしているし、簡単に恋が成就してしまう。
我が国からこの映画をみると、きわめてご都合主義的に見えるだろう。
しかし、この映画は、先進国の女性たちだけに、理解可能の恋愛劇である。
先進国それもアメリカとイギリス、つまり情報社会化が相当程度に進み、
女性の地位が男性とほぼ変わらなくなった国でだけ、この映画は理解可能にみえる。

imdbから

 2人の若い女性が、住まいの交換をするという話だが、
物語の設定が特異である。
ロス・アンジェルスに住むアメリカの女性アマンダ(キャメロン・ディアス)は、
映画の宣伝会社を経営しており、充分にリッチである。
そして、とても攻撃的で、男性を追い込んでいくタイプで、いかにものアメリカ女性である。
他方のロンドン郊外に住む女性記者アイリス(ケイト・ウィンスレット)は、
内気で男性を支えるタイプで、アメリカ人からみたイギリス女性像である。

 この2人には、共通点がある。
2人とも充分な稼ぎがあることだ。
しかも、2人ともサービス業に従事しており、生産会社の勤め人ではない。
つまり両者ともに、情報社会の住人なのだ。
そして、ロンドンとロス・アンジェルスでは、地球の裏表といえるほど遠く離れている。
2人が離れているという設定が、この映画にはどうしても必要なのだ。


 恋が成就する過程は、とりたてて特別なものではない。
問題は、彼女たちの置かれた状況と、選ばれた男性たちの在り方である。
アマンダが選んだのは、2人の子持ちの編集者グラハム(ジュード・ロウ)である。
この映画は、相手の男性が子持ちであっても、地球の裏表ほど離れていても、恋愛は可能だといっているのだ。
そして、アイリスには自分より小さくて、太った男性マイルズ(ジャック・ブラック)を選ばせている。

 恋の障害がなくなった現代社会で、新たに生まれた障害が、遠距離恋愛と子供の存在である。
今までは恋愛の結果、同居するのが当たり前だったし、そのときには女性が男性のところへと移り住んだ。
しかし、この映画では女性は、生活の本拠地を動こうとはしない。
アマンダはロンドンに住めないし、アイリスは相手の男性をロンドンへと連れて行った。

 アマンダがロンドン郊外で体験したのは、小さな子供との生活だったし、まさに一時のホリデイだった。
アイリスはロス・アンジェルスで、老人への思いやりから、貴重な体験をすることになる。
年齢秩序の崩壊している社会で、片方は子供、他方は老人と、世代の異なる人々が入ることによって、男女の関係が深まっていく。
しかも両者は、英語が共通なのだ。

 この監督は、「恋愛適齢期」で捨てられてしまった女性たちを描いたが、この映画では新たな視点を獲得したようだ。
自立した女性たちの男日照りが、「恋愛適齢期」の主題だったが、この映画では恋の対象がぐっと広がった。
アイリスの優しさは、恋の相手に向けられたものではない。
引退した老脚本家アーサー(イーライ・ウィラック)との出会いから、マイルズとの恋へと進んでいく。

 我が国の恋愛映画は、いまだに純愛を描いている。
まったく時代が見えていない。
この映画では、アマンダは平気でセックスを口にする。
アメリカの恋愛映画と我が国のそれで、決定的に違うのは、女性がフルタイムワーカーで自活していることだ。
職業が恋愛を支えている様子を、きちんと描き込んでいる。
だから、ご都合主義に見えようとも、リアリティがある。


 物質的には充分に満たされた先進国の女性たちは、男性との関係に飢えているのだ。
社会的に男女の別がなくなった世界では、男性に女性を指向させる契機がない。
男性のほうがひいている。
ゲイは男性のほうがはるかに多いし、いい男は既婚者ばかりだと、女性たちは嘆いているはずである。
自立は孤独の裏返しだから、異性に飢えるのは当然である。
それは男性たちが通ってきた道である。

 いままで男性が女性を口説いた。
しかし、もはやそんなことはない。
女性も男性を口説くのだ。
この映画は、そうした男女平等を当然の前提にしている。
もはや経済的な必要性で男女は同居しない。
ただ気に入ったから、愛し合い同居する。
そこでは恋の障害は何もないはずだが、むしろ精神性が純粋になっただけに、関係を取り結ぶのがより困難になった。
この映画の監督は女性である。
彼女は、もっと広く目を開け、そう女性たちに言っている。

 古い映画「卒業」にちなんで、ダスティン・ホフマンがカメオ出演しているが、あの映画が公開された当時、我が国ではベン(ダスティン・ホフマン)のように駆け落ちなど出来なかった。
今では我が国でも周囲の反対に抗して結婚できる。
少なくとも男性は自立したのだ。
この映画が描く女性像が、我が国で当然視されるのは何年後だろうか。

 映画の運びは、八方に目配りされすぎて、
恋愛はメンタルなものであるにもかかわらず、理知的な展開である。
もっと感情移入できるシーンがあっても良いと思うが、女性が論理的になっている現象だと思う。
女性も主体的になっていけば、どうしても自立的になり、状況に没入できなくなる。
どうやら本当に、男女が平等になる時代が来そうである。
  2006年のアメリカ映画
   (2007.4.10)

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