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2002年11月15日に栗原研究室にて、話した映画談義の要旨です。
参照:1995年以前の映画に関しては、<単家族的映画論>が詳しく論じています。 <前章として> 映画の見方 1.ヴィデオの登場→何度でも見直し(検証可能)→映画論(=文学論)が市民権 2.さまざまな見方→映像美(デヴィッド・リンチ)、映画技法(メメント)、俳優、演技、ファッションなどなど 私は主題=映画の主張(主題がない映画もある)を読む 歴史の流れに沿って映画を振り返ると、 核家族の時代 西部劇、ミュージカル…勧善懲悪、男女の予定調和的なエンディング ☆1960〜70年代 新しい時代 アメリカン ニューシネマ ☆1968年フランス<5月革命> 「俺たちに明日はない」「卒業」1967 「泳ぐ人」1968 個人=男性の時代 「イージー ライダー」「明日に向かって撃て」1969 ウーマンリブ:女性の社会的な台頭に<子育て>が足枷 ☆1980年代 「クレーマー・クレーマー」1979=女性が子育てを放棄した 女性が男性と同じ意味で、個人として社会的な自立を始めた。(母性=自然性の放棄) 「プライベート・ベンジャミン」1980 「ペギー スーの結婚」「心みだれて」1986 「危険な情事」「スリー メンズ アンド ベイビィ」1987 「セックスと嘘とヴィデオ テープ」1989 ☆1990年代 「テルマ アンド ルイーズ」1991=女性に青春。崖下へ車ごとダイブ *「俺たちに明日はない」1967=ボニー&クライド 蜂の巣 不美人の台頭:見られる女性→行動する女性 ジュリア・ロバーツ、キャメロン・ディアス、グネス・パルトロー、メグ・ライアン、ジョディ・フォスター、サンドラ・ブロック、ウィノナ・ライダー、ジュリエット・ルイス、ミニー・ドライバー、ドリュー・バルモア 「ディスクロジャー」1994 「リーヴィング ラスヴェガス」「カジノ」1995 「ファースト ワイヴス クラブ」「I Shot Andy Warhol」1996 「GIジェーン」「イヴの秘かな憂鬱」「リアル ブロンド」1998 「ウィズ アウト ユー」「彼女を見ればわかること」1999 「ガールファイト」「ザ・コンテンダー」「ハート オブ ウーマン」「沈みゆく女」2000 単家族の時代 現実と観念の分離 「シリアル ママ」「ジュニア」1994 ☆1995年 「セヴン」1995 「陪審員」「フェティッシュ」「ザ ファン」「ケーブル ガイ」1996 「ラリー フリント」「ゲーム」「ヘンリー・フール」1997 「私の愛情の対象」「ザ トルゥーマン ショー」1998 「ファイト クラブ」「アメリカン ビューティ」「マトリックス」「8mm」1999 「アメリカン サイコ」「メメント」2000 「ドニー ダーコ」「ザ マジェスティック」2001 <ここからが、1995年以降のアメリカ映画の主題です> <子供へのまなざし>と<子供からのまなざし> 男性はヒューマニズムをもって近代の入り口で、女性はフェミニズムにより近代の終わりで、それぞれ個人として自立してしまった。自立とは身分的な役割を否定することだから、神の支配からはなれることである。それは結果として、人間の存在基盤が不安定になることである。言葉を代えていえば、同時にアダルトチャイルド化でもある。 男女が自立したので、神の元に子供が残された。文化を受け継ぐ者としての、子供が自立を迫られている。子供とは未成年者を意味するだけではない。近代の入り口で登場した<子供>なる概念が消失しようとしている。そして、社会福祉の充実と親世代の蓄財の完了により、貴重な労働力であり、老後の保障として不可欠だった子供が、個別の親としては不要になった。そのため、子供の社会的な不可欠さと、個別親にとって子供の不要さという、矛盾の狭間に立たされている。子供の問題は、世代=人間の存続可能性として、二重の意味で問われている。 ☆1995年 「クロッシング ガード」−子供を失った父親は精神的に崩壊する。 「判決前夜」−子供が殺人を犯した時の親の対応を扱う。 「ウエルカム ドールハウス」−自立する現代の女性の子供時代を冷静に描く。 「マクマレン兄弟」−温かい人間関係に飢えていながら、家族を指向できない世代の悩み 「トイ ストーリー」−子供を正義と悪=絶対の体現者とし、神の位置におく。 「キッズ」−観念が先行し現実を確認できない子供たちは、現実からの報復を受ける。 ☆1996年 「マイ ルーム」−遺伝的な要素は人間の近さの証明だから、血縁こそ家族の基軸となる。 「スリーパーズ」−少年院での犯罪は、集団の掟の無力化が私刑の肯定へとつながる。 「ジャック」− 外見=肉体と内容=頭脳が分離したとき、その本質は内容にある。 「太陽に抱かれて」−難民収容所から出るために即席の家族を作るが、妻は結婚していた。 「バードケージ」−ゲイの男性を母親だと、フィアンセの両親に紹介するゲイ家族の話。 「バンド ワゴン」−自立できるように環境を整えるが、あとは本人の問題だと突き放す。 「この森で、天使はバスを降りた」−最も大切なのは、愛情という純粋に精神である。 ☆1997年 「チェイシング エイミー」−人間の関係は、精神的な緊張感=愛情だけが担保する。 「ガンモ」−子供を取り巻く環境のバラバラさを突き放して描く。 「ハリケーン クラブ」−子供は自己存在の手応えを求めて、家庭から脱出する。 「グッド ウィル ハンティング」−人間は立場や年令に関係なく対等である。 「アイス ストーム」−家庭を大切にしないアメリカ人に、子供を事故死させて天罰を。 「ライヤー ライヤー」−子供と大人の世界、職業を優先させる生活への批判である。 「愛さずにはいられない」−情報社会のアメリカ家族と農耕社会のメキシコ家族の対比。 「ファーザーズ デー」−核家族が崩壊したが、自分の子供という血縁に振り回される。 ☆1998年 「スモーク シグナルズ」−補償金がでるので、働かなくても良い父親の役割確認。 「マイ フレンド メモリー」−知能障害は排除されるが、障害を越えて心の美しさ。 「ハピネス」−観念が自然の支えを失って、幸福感も支える実態を現実社会にもたない。 「サイモン バーチ」−心と体が分離し、血縁の親より心の通うのが、本当の親だと言う。 ☆1999年 「サイダーハウス ルール」−人間が関係を作る社会を見据え、心の動きを自由に認める。 「ビッグ ダディ」−性別による役割分担が消滅し、男性が一人で他人の子供を育てる話。 「シックスス センス」−機械言語で動くコンピューターにより観念の有効性が高まった。 「アメリカン ビューティ」−男女の等価性は家庭へ浸透。核家族の崩壊は悲劇ではない。 「ヴァージン・スーサイズ」−子供を育てるのは、女性の生む権利という観念は支えない。 「カーラの結婚宣言」−知的障害者の自立が、重要な問題になるだろう。 ☆2000年 「ペイ フォワード」−子供が大人に教えるのは、年齢秩序が崩壊していることの反映。 「ハイ フィデリティ」−大人になれなかった男性は、社会からオチコボレる以外にない。 「あの頃ペニーレインと」−15歳で音楽評論家として認められた自伝的映画。 「ワンダー ボーイズ」−神童と、アダルト・チャイルドな男性作家を肯定する。 「二番目に幸せなこと」−本当の親子関係を支えるものは血縁ではなく愛情だけだ。 ☆2001年 「ゴースト ワールド」−差別がない=保護もない。差別のない社会は平等に孤独を。 「海辺の家」−情報社会では誰もが自分の存在証明を求めて呻吟する。 「チョコレート」−親子問題を子供から見た希有な先行例。加齢は既成の価値観に被拘束。 「アイ アム サム」−精神年齢が7歳という知的障害者に子育てが可能か。文化の非継続。 「サンキュー ボーイズ」−アメリカのフェミニズムは、男性たちに感謝する余裕がでた。 「ロイヤル・テネンバウム」−天才の子供たちと、出ていったダメオヤジの物語。 「A.I.」−愛情をもった子供ロボットの出現により、困惑する人間社会。 ☆2002年 「イン ザ ベッドルーム」−子供を殺された親の悲しみ、犯人を殺すに至る心理劇。 「アボウト ア ボーイ」−アダルト・チャイルドが増え、子供は自立を迫られている。 時間があったら、<ゲイ映画>にもふれたい ホモからゲイへ ホモ=男色=少年愛→陰湿、児童虐待、男男 ≠ ゲイ→明るい、成人同士、男男、女女 「ジェフリー」1995:男男、「バウンド」1996 :女女、 「イン&アウト」1997:男男、「ハイ アート」1998 :女女 ex:「ボーイズ ドント クライ」1999 |
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